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※以下は地銀 営業職 30代~40代 男性の体験談です
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順風満帆の会社生活が・・・
私の当時勤務していた金融機関は地域でも有数の地方銀行でした。
それだけに県内にたくさんの支店を有しており、県外にも約1割程度の支店を配置していました。県外店は主に融資店舗として機能し、多くの中小企業に資金を貸していました。
私もそのような役割を果たす行員として県内店舗で一定の業績の評価を得て、県外店に配置されていたのです。当時のポジションは支店長代理でした。支店管理職の一角でした。
県外店の位置づけは県内店舗より高位にランクされていて、いわば県外店に在籍している行員は行内的にはエリート行員と見なされていました。
県内でもそれなりに営業成績を上げ続け、私の将来はある程度明るいものでした。そうあの事件が起こるまでは。
最初の事件が起こったのはまさに中間管理職から次の高職位へとほぼ先が見えていたタイミングの時起こりました。そう、まさに青天の霹靂でした。
担当していた部下の一人の横領が発覚したのです。私的理由からお客様の預金を私物化して横領していたのが発覚したのです。支店内は蜂の巣を突いたような大騒ぎになりました。
でもこういう時は大騒ぎといっても、信用をベースに成り立っているような会社なので、完璧に行外秘です。あくまで大騒ぎしたのは私を含む管理職員だけの間です。まさにトップシークレットでした。
早速横領を働いた部下を一室に幽閉し、他の部下と担当を入れ替え顧客には怪しまれないような対応を取りました。一定の調査が行われた後、この部下は当然、懲戒免職となったのです。
ただ支店の管理職にとって、それだけでは済みませんでした。
部下が不祥事を起こせば、金融機関のトップまで責任の追及がいかないように、常に人身御供になるのはその支店のトップと管理職全員なのです。全員に降格の憂き目が待っていました。
私も同様に次の人事異動で何事もなかったように、格下の県内店へと移動させられたのです。待っていたのは、私のプライドを傷つけるような担当区域への配置でした。
県外支店で中小企業に対しバリバリの融資マンだった私が、今度は山間地の僻地担当でした。私のプライドをへし折ってくれるのに十分な左遷でした。
しかし人生の歯車が狂うのにはその程度では済まなかったのです。
それから約5年後、いくつかの支店を経てやっとその傷が気持ち的に癒え掛けてきた44歳の年、再び私の部下の一人が別の事件で懲戒免職になったのです。
なんと不運なことに、前回も今回もよく似た年度に会社に入ってきた連中でした。私はつくづくついていない男だと思いました。
景気のミニバブルが日本全体に一時的に起こった時代、このレベルの低い行員たちがたまたま当行に運よく入れたわけです。
そして見事にそのバカの犠牲になってしまったのが私だったのです。正直、このような太刀の悪い社員を採用した当時の無能な人事部スタッフに悪態をつきたいくらいでしたが、もう後の祭りでした。
ふたたび、私は同じ憂き目を見て降格のダブルパンチを浴びてしまったのです。次の人事異動でさらにみじめな状況が私を待っていました。
不遇の処遇の中での私の解決方法
会社というのは非情なものです。いったんキャリアに傷がつくとこの手の保守的企業では、その人間の人格まで否定して扱う傾向が強まります。
私自身は別に私が犯罪を犯したわけでもなく、たまたま運悪く交通事故に合ってしまったようなむしろ被害者意識に立っていましたから、当然会社によるこの扱いに納得してはいませんでした。
ところが、各支店のトップとか上司は私をまるで管理能力なき無能者のように見なしていたのが客観的に見ていてもありありでした。
これがこういう連中のステレオタイプの思考形態でだからこそ、忠犬ハチ公のように臆面もなく会社に入行から退職まで忠誠を誓えたのでしょう。
私が幸いにして、このような苦境に立ち迎えたのは、もともとが会社を突き放して客観的にみる癖がついていたのと、強烈な自負心、そして常にアバウトな性格を持ち合わせていたからでした。
最低の状態に置かれても、どうにか人生なるさ、ケセラセラって思える自分が常にどこかにありました。45歳に到達したときにはもう自分の直属の上司は私より10歳以上若い行員になっていました。これが現実でした。
つまり会社は私の将来について、もうこれから何年勤めようが、どれだけ頑張って個人的業績を達成しようが、過去の2回の出来事がすべてチャラにしてくれるということを意味していました。
もちろん、仕事を辞めて転職するべきかと考えたこともありました。
しかし当時はまだ養うべき家族もあり、自分の気持ちを精算させるために簡単に退職して逃げ出すという結論を出すには早すぎました。優先すべき家族との生活がありました。
でも毎日会社に出かけて行ってもこれまでのようなうきうきした変化はありません。毎日同じ得意先回りを行い、帰宅する、そんな毎日の繰り返しでした。
そして会社にいる限り、その単調な繰り返しが一年365日続くことを物語っていました。
しかし私の人間としてのプライドはまだまだ高く、能力だって絶対このような忠犬ハチ公ともには負けないという自負もありました。
でもいくら個人的に気負っても会社の中ではそれをストレートに表現させるくれる場所はそれほど期待できません。そうなれば、その鬱積した気持ちを何らかの形で昇華させる必要がありました。
それさえ見つけることができれば、必ず心のバランスをこの単調な生活の中でも維持できると思っていました。私は決してキャリアを求めるバリバリの会社員ではありませんでした。
基本的に仕事なんて退屈で仕方なかったし、遊びが大好きでした。たしかに預金の業務は単調過ぎて最後まで好きにはなれませんでしたが、融資の仕事はなんとなく攻撃的で知性も必要とされる仕事でしたし、なにより人間相手の生々しい業務だったので、決して嫌いではありませんでした。
だからこういう環境が身に降りかかってきても、ある二つの方法でどうにか単調な生活を有意義あるものにしようと試みました。
一つは融資案件にはできるだけお客様の立場に立ってなんとか融資実行までこぎつけようと努力しました。金融機関というのはもともと保守的な組織です。顧客の信用状態が悪いと、できるだけ融資を断ろうとします。しかし私はそれが納得いかなかった。
だからあえて上司と大喧嘩してでも顧客に有利に融資を進めて実行までこぎつけました。
一方では年齢的には、部下を指導する年齢でもあったので、毎年のように新しい行員が入ってきては、私がその指導教官みたいな役割を担わされていました。
将来ある若い行員、自分の指導が彼らの将来を再配する、そういう覚悟で一生懸命鍛えたつもりです。どのように上司から私の指導がみられているか、そんなさもしい考え方は私にはありませんでした。
視点は常に部下行員だけに向けていたつもりです。こういう活動をして会社では精神面のバランスをとっていましたし、個人的には長年続けてきた趣味があって、友人もたくさんいました。
当時、まだ珍しかったのですけど、趣味のブログを開設してその中に記事という形で自分の考えというものを投影していきました。
この存在も自分を見失いがちであった単調な会社生活にずいぶん自分らしい彩を加えてくれたと思います。それから15年ほど経っていますが、現在も依然としてそのブログは続けています。
仕事を辞めたいと悩んでいるあなたに伝えたい事
仕事を辞めたいと悩んでいる全員に伝えたいこと
人生はどんなに自分が成功したいと望んで努力を重ねても、人の運命は自分の思い通りには展開しない。私は自分の会社員生活を通して嫌というほどこの現実を味わいました。
私とて、生身の人間です。その運命を呪い、じたばたした時期があったことも否定しません。
しかし、いかにじたばたしたところでそう大きく運命というものは好転しないものです。むしろあがけばあがくほど、事態は悪くなっていきます。
そういう場合、むしろするべき態度は泰然として運命をまず受け入れることです。そしてその運命を誘発させた自分の隙を謙虚に反省すべきなのです。
いくら自分を正当化させてもどこかに相手の(私の場合は信頼を置いていた部下ですが)付け入るスキが私にあったからこそ、その隙間を突かれて彼らは犯罪を犯したのかもしれません。
そうなると、反省すべき点は私自身の中にあるのです。
そして原因の一端でもわかれば、次はそれが二度と起こらないように用心しつつ、じっくりと自分の周りを観察してみるのもいいかもしれません。
もうあなたはいまさらじたばた運命に逆らおうとしても、現実は固まっています。会社はあなたに大したことを期待していません。
それでもあなたが癇癪を起して会社の信用失墜につながるようなことでも起こさない限り、会社はあなたを懲戒免職にはできないのです。
いったん正社員として雇用されれば、会社よりあなたの労働者としての立場が強いのです。日本の労働法があなたを守ってくれています。
そのような意識の下で、ゆっくりと自分の立ち位置を見つめなおしてください。きっとどこかにあなたのよりどころは見つかるはずです。
私と同じように左遷させられた方に伝えたいこと
私のその後の身の振り方をかいつまんで申し上げれば、それから8年後、53歳で私は会社を早期退職しました。
家族の協力も得られて、当面の生活の目途も立っていたので退職に躊躇は全くありませんでした。そして長年のストレスのある生活からはついに解放されたのです。
しかし、私の場合はいくつかの好条件が重なって退職が可能になりましたが、きっと私と同じ地位や立場、年齢にある方が同じような意思決定ができる状況にあるとも思いません。
それでも私は申し上げたい。あなたが健康で強く人生を変える意志がある限り選択肢はたくさんあるということを。
そのまま会社の中で踏ん張って定年まで働き続けるもよし、思い切って外へ飛び出して自分を新しい世界でチャレンジするもよしです。
ただし、外へ飛び出すときは十分既存の勤務先で用意周到に準備をしてから行動を起こしてくださいね。拙速は失敗のもとです。私も退職後、別にのんびりと過ごしているわけではありませんでした。
この7年いくつかの新しい課題に取り組んできて、今またフリーランスのある道のプロとして生きていこうとあがきつづけています。
しかし、今までのように会社から強制させられて仕事をするのでなく、すべて自分の意志で決定してやれますので、いくら仕事がハードになっても疲労はほとんど感じません。
むしろ働く喜びを感じています。振り返ってつくづく退職してよかったと思います。
読まれている方に私の体験談がどう読まれるかはわかりませんが、これらの体験は少なくても私を精神的により強くしてくれたのは事実です。
これがあって今の私がある。私はそう総括しています。皆さんの参考になれば幸いです。頑張ってください。
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